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サンプル文章:

<導入部>より、

 

「おい、作家!」と呼んだのは、三女だった。

 

私がまたしてもパソコンに集中していて、「パパ!」という最初の呼びかけに応えなかったからである。私には可愛い娘が三人いる。一番下が、この8歳だ。私が急遽作家に転向したというので、こう呼んだらしい。

 

 

 

私はその後、寝室で寝る前に、風呂上りの三女に向かって、

「おい、作家のムスコ!」と呼び返した。

「ムスコじゃない、ムスメだ!」と三女。

「自分のお父さんを職業で呼ぶんじゃない!よっちゃんがお父さんを『おい、大工!』とか呼ぶか?」と言い私は両手で三女を捕まえた。

「がははは。」と三女は笑う。

 

私は、自分の不遇にもかかわらず、幸せだと思う。

 

 

 

だが、同様の不遇にあった人の中には、誰がどう見ても幸せとは言えない境遇の人がたくさんいる。むしろその方が多いだろう。自分はきわめて稀な、超例外だ。

 

その不遇とは何かを、ふつうに説明しよう。

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<はじめに>より、

 

私がこれから書くことは、とくに精神医療にかかわっていない方にはとても尋常ではなく、まったくもって信じられないことでしょう。私は、

 

「抗うつ薬の処方により、難治性のうつ病にされた」

 

ということを述べるからです。何を言っているのか、わからないと思います。それが普通の反応です。精神病患者がわけのわからないことを言っていると思うかもしれません。そこは少々我慢してお読みください。おそらく信じていただけるものと思います。

 

2000年(平成12年)に始まった、

 

「うつは心の風邪。」

 

というキャンペーンは誰でも覚えているのではないかと思います。私はプロのマーケターでしたので、今となってはこの宣伝コピーはきわめて優れたものであったと認めざるを得ません。大量のテレビ・コマーシャルを流し続けたわけでもなく、長い期間にわたり、ほとんどすべての人が覚えている宣伝コピーなど非常に稀ですし、良い宣伝というものはどれだけ実際以上の機能イメージを植え付けられたか、ということに尽きますから。日本語全角たったの7文字、このコピーは一見、全国の精神科の敷居を下げるという公共意図で作られたように見えますが、実際には一つの新薬を売るための強力な銃弾爆撃(キャンペーン)でした。そして、その薬には想像を絶する重大な瑕疵が隠されていたのです。

 

その薬の名前は、新規抗うつ薬、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の一つ、パキシルです。開発し、宣伝・販売した製薬会社は英国本社の国際的な製薬業界の大手優良企業、グラクソ・スミスクライン(GSK)です。お茶の間では、ボルタレン、コンタック、シュミテクト、アクアフレッシュ、ポリデントなどのパッケージに書いてあるので、日本人には読みにくいカタカナですが、覚えている方もいるのではないでしょうか。

 

 

 

パキシルについては、以前から副作用により自殺者が出るということが話題になっていました。自殺という形で人の命を奪ったのであれば大問題ですが、うつ病というのはもともと希死念慮(自殺願望のこと)を伴うことが多いので立証は困難かもしれません。また、当初はないと説明されていた離脱症状(薬を中止後に現れる症状)で苦しんでいる人が多いということも、その後話題になりました。売るのに不都合な様々な副作用を隠蔽していた、あるいは軽視して収益の追及をしていたことは今となっては明らかです。

 

他にも色々な噂は絶えない薬ですが、私はこれらに加え、パキシルなど抗うつ薬は

 

「心の風邪」と思った軽症のうつ症状の人が医師を信じて飲み続けると、

かえって心のバランスを大きく崩して重症し、

本物の難治性大うつ病患者になってしまう

 

ということを訴えます。難治性のうつ病になるということは、社会参加が困難な障害者になるということです。仕事をする能力を奪われ、収入を失います。体調がまったく読めず、自分が来週何ができるかがわからないため、身体の障害者以上に就職は困難です。家事などですら責任をもって遂行することも困難なため、家族にも迷惑をかけその信頼を失います。

 

今この本を読まれている方、身の周りにこのような例の方を思い当たりませんか?もともとごく普通に元気だった人が、何かの機会に精神科に通うようになってから、症状が良くなるどころか徐々に悪くなる。そして、ある時急に、仕事や学校を辞めざるを得なくなり、家に引き籠るようになったというような例です。おそらく1名、あるいは複数名思い当たるのではないでしょうか。誰にでも一人は思い当たるということは、私と同様の境遇の方が日本中にもの凄い人数いるということです。

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<サンプル・ワン>より

 

「だいたい言いたいことはわからなくもないが、それをお前はどうやって証明するのか?」と問う方がいるかもしれません。私は医師でも、薬剤師でも、科学者でもありません。ですので、基本的に私の身に起こったことを中心に書きたいと思います。

 

少しでも医学を知っている方なら鼻で笑うでしょう。いやいや、物事の因果関係を立証するということはそんな簡単なことではない。医学において科学的に立証するには、問題となる群とコントロール群を統計的な有意差に必要なサンプル数を設けて比較するのだよ。しかも、その調査に携わった人間のバイアスがかからないように、二重盲検法、ダブル・ブラインドという手段を使うんだ、勉強したまえ。サンプル1では何も証明できないよ、と

 

実は、私も統計学は知っています。高校でも習いましたし、留学先の米国の大学院でも習いました。また、マーケティングの仕事をしていたのですが、調査やデータベース・マニアというほど数字弄りが好きなタイプです。データベースの保守をしている情報システム部に対して、データベース内の数値の矛盾を発見し、間違いを指摘するのは私くらいでした。市場調査にあたっては、調査会社への集計方法に関して、統計学用語で指示を出していました。日本での大学は丸きり文科系でしたが。

 

 

 

~筆の力は資金力に勝る~

でも私は、サンプル・ワンで良いと思います。十分です。人生は100回やって何回勝つというコンピューター・ゲームではありません。1回切りです。サンプル・ワンが私の人生にとっては、すべてです。サンプル・ワンが100%なのです。また、製薬会社が持っている健康関連の大規模モニタリング・データベースにはアクセスできませんし、巨額な費用のかかる比較テストなどできるわけがありません。できたとしても、巨大資本はそれを否定するエビデンスをなんやかやと作り出し、否定して来るでしょう。

 

相手の得意な土俵で戦うことはありません。私の出身大学は上智大学外国語学部、立派な文化系です。文系丸出しで行こうじゃありませんか。泣き寝入りするよりよっぽどマシです。幸いなことに、私は文章を書くのが好きですし、その能力は残っています。文章には筆の力があるはずです。それは真実を見抜き、描き、それにより人の心を揺り動かす力です。それは知です。時としていかなる暴力よりも、資金力よりも、組織力よりも、一人の人間の持つ柔らかい一本の筆の力が優る時があります。それに向けて誠心誠意、心を込めて書きます。

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<発症>より

 

~心臓の異常な鼓動~

それは、2004年の7月20日、東京は摂氏34℃に迫る記録的な猛暑の日だった。うだるような暑さが残る蒸した空気の中を斜めにオレンジ色の日が差していたのを覚えているので、夕方頭痛がして気持ち悪くなり、早めに会社を出て帰宅に向かう時のことだ。駅の階段を上り終わり、地上2階ほどの高さを走る線路に沿ったホームに上った時に、それは起こった。胸の中央で魚が跳ねるようにビクビクと震えを感じたのだ。とっさには何が起こったのかわからなかったが、これは自分の心臓が異常な脈を打っているということに、やがて気が付いた。

 

心臓の病気となれば重大だ。私の父は解離性大動脈りゅうという病気で、大動脈に太い人工血管を入れるという大手術を、10時間以上もかけて慶応病院の心臓血管外科で行ったことがある。早めに医者に診てもらわねば。それがその時思ったことだった。

 

 

 

それは転職して1年ほど経った頃だ。私は大手外資系の食品メーカーのマーケティング部門に勤め、新ブランド開発の指揮を取ったりしていたが、外資系エグゼクティブとして別の中堅のペット関連メーカーのマーケティング部門と開発部門の責任者になり、慣れない環境で過ごした1年だった。

 

転職前は自信満々だった。自分は世界のどこででも仕事ができる、と40歳過ぎの自分は考えていた。反りの合わない社長からあてがわれた最後の仕事はシステム開発プロジェクト。会社全体の統合会計ソフトの導入で、各部門から集められた数十人のメンバーが、本社ビルから少し離れたところでオフィスを構え、システム導入準備に当たった。自分の担当は比較的簡単なマーケティング費用の管理モジュール。額として大きいマーケティングの支出管理をきちんとするということで、確かに重要なのだが、システム要求事項はシンプルなので、2週間で要件を書き上げた。あとは、プログラミングをする技術者に繰り返し念仏のように唱えてお願いし、出来上がったらちゃんと動くか確認するという、はっきり言ってしまえば暇な1年間のつまらない仕事だった。

 

 

 

~転職前はまさに健康体~

転職することは決めていたので、渋谷の宮益坂に腕の良い歯医者を見つけ、入念に歯の手入れをしていた。転職すれば、今までのようなぬるま湯ではなく、健康な体が要求されると思ったからだ。歯以外に注意をすることはまったくない健康な体だった。毎年の健康診断では、コレステロール値は若干高いものの他には何も指摘されたものはない。毎年の体力テストでは、持久力と筋力は普通であったが、柔軟性とバランス感覚が人並み外れて優れていたので、体力年齢は30代前半であった。立ったままひざを曲げずに両掌を床につくことができるし、目を瞑って片足立ちになる検査では、最長の3分を達成し驚かれていた。身長171センチ、体重63キロ、特別にスポーツで鍛えたわけではないが、医学的になんら問題のない、理想的な体型である。

 

会社が委託したドゥ・スポーツ・プラザ開催の社内運動指導票の数字で確認してみよう。「健康年齢」とは、体力測定結果から弾き出された「みなし年齢」で、若いほど良い。

 

月日         体重※ 年齢  健康年齢

1996年  9月20日  62.0kg 35歳  35歳

1997年  9月20日  65.4kg 36歳  35歳

1998年  9月19日  65.2kg 37歳  34歳

1999年10月25日  63.0kg 38歳  32歳

2000年10月30日  63.0kg 39歳  28歳

2001年11月12日  63.0kg 40歳  33歳

2002年10月15日  63.5kg 41歳  31歳

 

※1999年以降の体重は、体力テストでは行われなくなったので、同年6月の健康診断の数字。

 

好きなものを好きなだけ食べ、オフィスでは米国留学中に覚えた炭酸飲料のがぶ飲みをし、とくに運動をしていないにもかかわらず、実に見事な体重コントロールである。スポーツ選手やファッション・モデルでも長年にわたる抜き打ち検査でこのような結果を出すのは難しいかもしれない。私の体には生来、無駄なエネルギーを代謝できる能力が備わっているのだ。後に、薬がそれを妨害するまでは、である。私は普通の健康体と書いたが、この検査では30代後半から40歳にかけて、

 

むしろどんどんと若返っている

 

ことになる。2001年の結果が不本意だったのは、閉眼片足立ちが3分(180秒)ではなく、126秒と悔しい結果に終わったことが起因している。

 

20年前の健康診断やスポーツテストの結果を持っているなんて気持ち悪い、変な人、きっと血液型はA型ね、と思われるかもしれない。変な人であることはとくに否定はしないが、実際には大まかでズボラな、血液型0型の典型である。仕事ではくだらないことでバタバタと慌てたくないので、重要なものはきっちりと管理しているだけで、プライベートにも少しそのノウハウを持ち込んでいる。健康診断というクリアフォルダーを作り、結果を年ごとに挟んでいる、たったそれだけのことだ。

 

 

 

ぬるま湯と書いたが、とくに管理職になるまでは残業は多い会社だった。データ分析作業などで夜の11時に会社を出るのは当たり前だし、夜中の2時のタクシー帰りになってしまうこともしばしばである。夕方になって、「22時から社長を入れて電通(広告代理店)との会議」という通達も、日常風景の一つだった。社長がテレビCMの内容を部下に任せられないタイプだと、いつもこうなる。そして、このタイプはどういうわけかクリエイティブ・センスが非常に悪い、というのがオマケで付くので迷惑千万である。ぬるま湯というのは利益体質の話で、販売体制が強固なものだったので、社員一人当たり億単位の利益が、長年にわたり安定して出る仕組みになっていたということである。おそらく世界中を見渡しても、そのような会社は珍しいということはわかっていた。

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~日本うつ病学会が、抗うつ薬の軽症患者への使用を基本的に否定~より

さてさて、実はこんなことよりも、2012年7月26日にはうつ病に関して重大なニュースがあった。うつ病治療に関し、さすがに国際的な疑問、批判が相次ぎ、それらを日本うつ病学会が「日本うつ病学会治療ガイドラインII.大うつ病性障害2012」としてまとめたと思われる。まずは、「序文」より抜粋する。

 

・・・精神科薬物療法研究会による「気分障害の薬物治療アルゴリズム」は、・・・大うつ病治療の貴重な指針となった。

しかし、2003年を最後に今日まで改訂が行われてこなかった。実はこの10年の間に、新規抗うつ薬の新たな副作用が注意喚起され、また、軽症大うつ病における新規抗うつ薬の有効性をめぐり国際的な議論が巻き上がり、各国のガイドラインにも影響が及んだのである。したがって、日本うつ病学会では、これら所議論を踏まえて、細心エビデンスを盛り込み・・・

 

 

 

それにしても、私がこのガイドラインのニュースにまったく気が付かなかったのは不思議だ。「軽症大うつ病における新規抗うつ薬の有効性をめぐり国際的な議論」とあれば、私や妻の注意を必ず惹くはずだ。時はロンドン・オリンピック開催中で、7月26日にはサッカー日本代表U-23の対スペインとの試合、7月28日には女子サッカー、なでしこの対スウェーデン戦がそれぞれ夜にあり、ホームシアターで見ていたのだろう。翌7月29日には日帰りでまたヒルトン小田原でプール遊びをしている。遊び呆けていたということか。

 

続く内容だが、目をも疑う文章がひしめいている。

 

2.軽症うつ病、より抜粋、

 

・・・安易な薬物療法は問題解決に向けた患者自身の能動性を失わせるばかりでなく、無用な有害事象に患者をさらし、本来の症状よりも治療そのものが就労や就学、家事などにおいて重荷になることすらあり得る。

 

・・・近年わが国ではうつ病患者が急増しているとされるが、その多くは軽症うつ病、もしくはうつ病と診断される基準以下の抑うつ状態の患者であると推測されている・・・軽症うつ病において、プラセボに対する抗うつ薬の優越性には疑問符がつくことが示されている・・・

 

 

私がこれに気が付き、読んだのはこの3年半も後の2016年のことであるが、その時は驚きとともに込み上げてきた怒りが抑えられなかった。SSRI は、軽症どころか、うつ病診断基準に満たない精神疾患にも安全で有効であるかのごとく、どこににも書かれていたので、私はそれを信じて副作用を我慢して飲み続け、心身のバランスを崩して倒れたのである。どうもそれは、

 

「無用な有害事象」

 

であったようだ。よくもまあ悪びれもせずに7文字でさらりと言ってのけたものだ。「プラセボに対する優越性には疑問符」とあるが、プラセボとは偽薬=小麦粉の塊で、それと大差ないということは、軽症にはまったく持って無意味ということである。呆れてものが言えない。「有効であることは言うまでもない」という断言調の繰り返しは、いったい何だったのか?どこから来たのか???誰かの首を絞めてやりたい気分になる。

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2010 - present
2010 - present

「うつは心の薬害。」

 ~抗うつ薬により、難治性大うつ病になったパパの手記~

  1.概要

  2.目次

  3.サンプル文章

  ​4.背景の核心

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