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精神科病棟における『身体拘束』について。

  • jeremmiemoonchild
  • 2017年7月19日
  • 読了時間: 14分

ニュージーランド人の若い男性の英語教師が、精神病院に入院したら身体拘束を受け、10日後に亡くなった。日本の大手メディアはまだ報じていない。病院は情報を出さない。今日、遺族の会見がある。

私は、精神医療問題は大きく、一般クリニックにおける問題(外来)と、入院施設を持った精神病棟における問題とに分けて考えている。後者については、個人的な経験もなくコメントすることは今までなかった。だが、当然ながら両者はさまざまな側面で繋がっている。

「一般クリニック問題」と、「精神病棟問題」とどちらが大きな問題かは答えるのが難しい。

「一般クリニック問題」は、「うつは心の薬害。」で書いたように基本的にマス・マーケティング的な問題である。製薬会社が病気喧伝を大々的に行い、一般クリニックが受け皿となり、投薬を行う。この投薬が標準療法であっても、重大な副作用、精神病的な後遺症、依存症があるのが問題である。

一般クリニックでの問題は、どちらかというと善意の医師が製薬会社に騙されて、大量の患者を傷つけてしまっていることにある。もちろん、騙され続ける医師というのも大いに不思議な存在だ。いずれにせよ多くの犠牲者は、この善意の医師の言葉に縛られており、この巧妙さがこの問題の肝となっている。また、かなりひどいケースでも、犠牲者が医師の言葉を信じ続け、犠牲者という意識すら持っていないケースもまだまだ多い。

もちろん、なかには悪質なクリニックもある。

他科の医師が専門的な経験もないのに儲かるからと精神科を開業し、安易にリタリンを処方したり、薬漬けにしたりという報道があった。最近はあまり聞かない。これは、恐らくこの手の悪事が巧妙さを欠くために露呈しやすく、客が来なくなってしまうからであろうか。悪意を感じてしまえば、普通は患者は来なくなる。ある程度は、「市場原理」が機能しているわけだ。

「精神病棟問題」は、一般クリニックや外来が、手に負えなくなるまで悪化させてしまった患者が行くということで、「一般クリニック問題」と当然繋がってはいる。

しかし、その患者数ははるかに少ない。また、SSRI などの新薬よりも、三環系などの旧薬が多く使われているようなので、製薬会社にとっての重要度も低いかもしれない。少ない人間に大量投与するといっても絶対量には限界があり、MRによる宣伝の効率が悪いのかもしれない。

しかしながら、市場原理が機能しにくいため、悪徳な病院の「閉鎖病棟」に入ってしまった患者にとっては劣悪な状況となり得る。本来顧客である患者が、「出たくても、出れない」場合がある。これは、患者が選ぶという市場原理の完全機能停止である。

人権問題としてみると、明白な「人権はく奪」状態である。

そのような状況で、薬物投与、身体拘束、生活指導の名のもとに強制労働、などなどの「治療」が行われている。およそ、治療が功を奏することはなく、むしろ悪化しながら永遠と続く。医師を絶対権力者とした狭い組織の中で、人の命ですら軽んじられる可能性がある。

問題は根深い。

ビジネス色。どんな医療もビジネスである。

金儲けというと聞こえが悪いが、収入無くしては医師も看護師も生きてはいけない。だがそれは、良い仕事をした見返りとして、当然に患者が支払っている限りにおいてのみ、健全性が保たれる。

良い仕事が何かすらわかっておらず、ましてやそれを判断するのが患者ではないようなことが正当化されると、このビジネスはもう目的を失っており、暴走している。身体拘束すれば、一晩いくら儲かるというソロバン勘定をしている者がいないとは言い切れない。

患者は孤立している。

このような状況では、患者にとっては家族が頼みの綱だ。しかし、家族から見捨てられているケースもあり、こうなるとますます病棟側のやりたい放題となる余地が増える。家族とは社会の最小単位。家族から見捨てられるということは、社会全体から見捨てられており、どのような組織も患者側に立っていないということだ。

精神医療には、会社や学校が問題となる人を丸投げする先となっている。どちらかというと、ストレスを生じさせたその会社や学校の方が問題なのだが。そして、精神病棟は家族がそれを丸投げする最終地点の場合がある。

薬物は悪化させる。

もし、「身体拘束を禁止する」と聞けば、「じゃ、もっと強力な薬物投与をしてもよいのだな」としか解釈しない悪徳医師もいるだろう。そもそも、精神科の薬物療法は、身体拘束の代わりになるので、広く使われるようになったと思う。

患者が大人しくなったとしても、気分がよいわけではない。むしろ、気分が悪くなり動けないだけだ。だが、それすらも短期的なことであり、長期にわたる向精神薬の投与ではより精神病状態が悪化し、それこそ騒いだり暴れたりする原因となる。

身体拘束が日本では増えているらしいが、その原因が薬物療法による可能性は高い。

医師は怯えている。

精神病棟の中では、医師を頂点とし、患者を最下位とした「極めて閉鎖的な社会」ができ上っている。良心的な医師が頂点であれば、問題があっても是正できる。だが、そうでないとしたらどうなるか、多少の想像力があれば容易に理解できる。

治療成果が感じられない状況では、悪徳医師になる誘惑はあまりにも多い。

逆らう患者にどう対処したらよいのか、医師は常に怯えている。そうならないような実力行使、それが身体拘束である。これにより、誰が権力者で、誰が服従者であるかを明確にする。

「身体の拘束で足らなければ、薬で心や頭を拘束してしまえ、それでもダメなら命を奪ってしまえ。かまわん!」

どこぞの独裁者の頭の中のようだが、このような囁きが医師の頭を駆け巡っている。もはや、医師は統合失調症寸前なのだ。心の病んだものに、他の人の心を癒す余裕や力は皆無だ。

さて、冒頭のニュージーランド人の身体拘束による死亡事件に戻ろう。

私自身はもとより、この事件の経緯を知るものは現段階ではいない。しかしながら、日常的に精神病棟から死者が出ていることは事実のようである。日常的なことは、ニュースにはならない。

外圧に頼るというのは、日本人として情けない話しだがしかたがない。大いに問題化し、精神医療の問題に対し、多くの事実が明るみに出て議論されることを望む。

それでは、問題が明るみになった後、どう解決したらよいのだろうか?

一般クリニック問題と比べると、病院単位でできることは多い。つまり、患者の人権を尊重し、本当の意味での治癒を促している、どちらかというと良い病院があるのであれば、どちらかというと悪い病院は見習えばよいのである。つまり、完全解決策は誰にもわからないが、「改善の方法論はすでの存在」している。

非人間的、ビジネス・マインドの病院経営者が、どのようにしたら本気で良い病院を見習うつもりになるかが、最大の問題であろう。

また、この機会に国際比較も国を挙げて努力すべきであろう。

イタリアでは精神病院をなくしたそうだから。アメリカの精神医療を真似ていること自体が、日本の精神医療問題の根本にあることに気付くであろう。

ジェレミー・ムーンチャイルド

追記、

読み返して思うのだが、治療が功を奏さず、医師の自尊心があるべき形で保たれないということが、もっとも根深い。つまり、薬物療法のウソが最大の問題であり、この点ではクリニック問題と同じ源に通じる。

追記、

厚生労働省の「長期入院精神障害者をめぐる現状 (2014/03/28)」というレポートを教えてもらった。

その4ページ目。

5ページ目。

こういう風に私には読める。

① 精神病院に入院すると、1年以内でも3%以上の確率で死亡する。

② 入院が1年以上となると、出るときには20%以上の確率で死亡している。

③ ①も②もそれぞれ約1万人ずつ、合計2万人の死亡者があり、増えている。

年間の新規入院患者は約40万人で、1年以上の入院はその約10数%なので、およそ計算は合う。(40万人x3%≒1万人、5万人x20%≒1万人)これは、開放病棟も含んだ数字と思われる。異常に多い。(冒頭のニュージーランド人の身体拘束による死亡事故のように、他院他科への転院先での死亡は含まれていない可能性が高い。つまり、実態はもっと多い可能性がある。「転院・院内転科」の数字の大きさは上記円グラフで確認できる。)

たしかに、現代では人間はほぼ全員、病院で死ぬものだ。

日本では年間100万人規模で亡くなる。だが、精神病院に入院する患者の多くが寿命に近い年齢のわけははない。それをまっとうせずに、若くして死んでいるということだ。

原因は何なのか?

推測でしかないが、①には自殺者が多く含まれていると思う。(※追記参照:これは疑わしい。)だが、②の多くは医療行為そのものが原因・誘因ではないだろうか?

強力な薬物そのもので死んでしまう可能性、長期の薬物で太ったり、内臓に負担がかかったりして死んでしまう可能性、そして、身体拘束が原因・誘因となっているケースも多いのではないか?

精神病院へのご自身・家族の入院を考えている人は、このようなリスクを考えてからにした方がよい。

追記、

通称、「630調査」というのがある。毎年、6月30日に行う、精神医療に関する厚生労働省の調査のようである。その中で、恐ろしい数字を見出してしまった。

平成24年の6月一か月間に精神病院に入院した患者が、32,479人おり、その方がどのように推移されたかがわかる。死亡退院者数は、退院に含まれている、内数の一つである。(これは実数であり、この数字1には、名前の付いた一人の実在の人がいる、または、いた。)

精神病院に入院すると、最初の1年間で約3%が死亡すると上述したが、それがこのデータからも確かめられる。しかも、月々の内訳がある。意外なことに、入院による薬物療法が長く続く前、最初の3ヶ月程度の死亡者が実数としては多い。私は、入院が続くと死亡者が増えるというイメージがあったが、そうではない。母数が多いことから、実数は当初数か月の方が多い。

次のように、数字を変更してみた。

平成24年6月に入院した32,479人のうち、入院継続者数を母数と取り、その月の死亡退院数を割ってみると、およそ1% ±0.2 前後で常に推移している。

この数字は何を物語っているのか?

「精神病院に1ヶ月入院するということは、1%の死亡リスクを伴う」

ということに他ならない。どうも、新規入院であろうと、長期入院であろうと、毎月99%の生存率サバイバル・ゲームということだ。恐らく、精神病院に勤務している人、長期入院している人なら、肌で感じている数字だろう。ようするに、毎月1%の患者が死ぬのである。今いる100人のうち、今月は誰か、来月は誰か、という具合に。

これはまっとうな世界ではない。80代の人間ばかりを集めた老人クラブでもない限り、1%の人が亡くなるので毎月葬式を出すなどということはあり得ない。

調べた限り、この調査に関してこれ以上詳しい死亡原因などはわからない。しかしながら、精神病院に1か月入院することは、1%の死亡リスクを伴うことは、紛れもない事実であり、周知徹底されるべきだ。

それでも、入院しますか?家族をさせますか?

追記、

今まで、病院ごとの治療実績を公表すべきと思っていた。

治療という前向きな話し以前に、死亡数を公表すべきだと思う。この病院は、平均の1%/月。こちらは、0.05%/月という具合に。もちろん、死亡数や率だけがすべてではないが、死亡というのは取り返しのつかない事実である。少しは市場原理が動き、病棟問題の改善に繋がる可能性がある。

追記、

自殺を除き、精神病では人は死なない。

つまり、自殺と寿命を除けば、1か月に1%の死亡リスクは、医療行為によるものとなる。それでは、自殺はどの程度を占めているのであろうか?

こちらは、新潟における「精神科入院患者自殺調査報告書」という調査からの抜粋。新潟県内での6年間の精神科での自殺死亡者は57人。

対象:新潟県内の精神科病院における事故報告のうち自殺とみなされるもの

対象期間:平成18 年度から平成23 年度まで6年間

年間に人口十万人に対し、何人が自殺するかという議論であり、精神病院内においては一般社会よりも5倍もあるという結果である。しかし、それは年間に0.15%という数字で、1か月間に1%という死亡率からみると、およそ微々たるものとなる。

追記、

それでは、寿命による死亡はどの程度あるのでしょうか?

こちらが、1年以上の精神科入院患者の年齢と疾病別。上述の「長期入院精神障害者をめぐる現状 (2014/03/28)」より。

この方たちのうち、毎月1%死亡している。

一見してわかる通り、55歳以上がほとんどであるという意味においては、高齢者が多い。また、「75歳以上」の層の約半分を占める認知症を除き、統合失調症がほとんどを占める。

しかしながら、寿命により今月に亡くなってもおかしくない年齢は、一番右の75歳以上の中の80歳以上だ。あえて、「75歳以上」の全部としてもそれは上記患者全体の27%に過ぎない。もし、「毎月1%」の死亡患者がこの層に著しく偏っているとすると、あっという間にこの層自体が減ってしまう。それくらい、ものすごい死亡率ということだ。(ただし、このグラフの認知症患者が、毎月1%の死亡率にどの程度寄与しているかは確認する必要がある。理論的には、この患者層が高確率で死亡し、高回転で入院で補填されている可能性はある。)

死亡患者の年齢構成が出ていないので、直接的な証拠はないが、年齢にかかわりなく、ニュージーランドの若い男性のように死亡者が続出していると類推される。

繰り返しになるが、厚生労働省は、精神科病棟での死亡者の詳細を公開すべきだ。

追記、

ニュージーランドの男性の件は「措置入院」であった。それが適正だったのか、議論されているようだ。

措置入院とは、自傷他害を防止するための強い手段で、頻繁に行われるものではない。家族が現場にいたわけであり、ふつうであれば「医療保護入院」であろう。強力な強制力のある法的手段であったがゆえに、病院側が過剰反応し、人権が侵害された可能性がある。

こちらは、上述の「630調査」で、年間の入院患者を疾病別に入院形態別にその数を示している。

措置入院は男女を合わせて年間に、1,174人+489人=1,663人であり、全体の0.56%にしかすぎない。これに当てはまるほどの問題行動が見られたのであろうか?

しかも、この方は幻聴や幻覚を伴う統合失調症ではなく、双極性障害であったと聞く。上の表の分類では、F3 気分障害に該当する。そのような例は、年間に男女を合わせて、99人+38人=137人に過ぎない、とても珍しいケースである。珍しい措置入院のなかでも、8%程度である。

ちなみに、「医療保護入院」というのも、保護者の同意があれば、本人の同意を無視した強制力をもつ。それが、本人の希望や合意の上の「任意入院」と同程度の数があることには、驚きを隠せない。日本の精神科病棟は、半数近くが患者本人の意思には基づかずに運営されているということだ。

追記、

上の線グラフを眺めていて気が付いた。

意図していたとすると、この資料の作成者は素晴らしいのだが、平成12年からの推移となっている。平成12年とは、2000年、つまり「うつは心の風邪」キャンペーンが始まった年である。

その頃の死亡者が1万5千人程度であったのが、2万2千人になったとすると、毎年7千人ほどの精神病棟における死亡者は、「うつは心の風邪」キャンペーンをはじめとしたSSRIバブルによる被害者の悲惨な最期である可能性がある。

つまり、キャンペーンがなければ亡くならなかった方が、毎年7,000人もいらしたことになる。償いきれるものではない。

合わせて、新しい数字を発見した。

上述の毎月の死亡者の数字から、認知症患者を切り出すことができることがわかった。32,479人の平成24年の全精神病院入院患者のうち、認知症の患者は約8%の2,542人であった。そのうち、11%の284人が死亡退院となっている。月々の内訳は下記左側の表の通り。

右側は、認知症患者を除いた数字である。

入院3か月後(9月以降)で述べると、こうなる。

「認知症を除いても、精神科への入院は、毎月0.8%の死亡リスクを伴う。」

いやはや、恐ろしい数字である。

これは、利害相反のない研究グループが実態解明に乗り出す必要があることは明らかだ。「精神病棟において、患者はどうして、どのようにして亡くなるのか?」についてである。その過程で、患者の健康、尊厳、命が粗末にされている原因の中心に、薬物療法の欺瞞があることまで解明するのは困難かもしれないが。

追記、

精神病棟での死亡の原因を調べて欲しいと書いたが、病歴も調べて欲しい。

年間7,000人に及ぶかもしれない、「SSRIバブルによる被害者の悲惨な最期である可能性」が浮かび上がるだろうからだ。

心の風邪で早めに受診⇒ ○○障害⇒うつ病⇒双極性障害⇒統合失調症⇒入院⇒ 死亡退院

このような例が大量に見つかることであろう。第一段階に進むことを考えている人、現在の診断に疑問を持っている人、入院を考えている人、それぞれにとって非常に有益な情報となろう。

追記、

久しぶりに追記する。「精神病院には高齢者が多いのだから、月に1%の人が亡くなってもふつうではないか」と思う方がいるらしいので、ふつうではないことを示す。

こちらの総務省統計局のサイト、2-20に「年齢階級別死亡数と死亡率」がある。

わかりやすく、年間死亡率を%に変えた表がこちらだ。

月に0.8%とか1%というのは、年間に10%程度の死亡率である。たとえば、同窓会をして100人集まり、その後その仲間の葬式を毎月するような事態は男性で85歳以上、女性では90歳以上でないと生じない。50代前半までは二ケタ下、70代まででも一ケタ下の確率でしか起きないことである。

精神病棟の入院患者は、75歳以上としても全体の1/4程度であり、認知症患者を除けば1/8程度と予想される。中年以上がほとんどなのは事実だが、毎月1%の葬式はまさに恐ろしい現実に間違いない。

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