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「カール」ブランドは湖池屋に売って~!

  • jeremmiemoonchild
  • 2017年6月2日
  • 読了時間: 7分

今朝の日経新聞で、気になった記事がいくつかあった。

一つは、2面の

「カール」殿様商売のつけ

というタイトルの記事。

カールが私の住んでいる東日本で終売になるというショッキングなニュースがあったのは、1週間ほど前であったろうか。なにか釈然としないものがあった。私にとってカールはピクニックの必需品。「うつは心の薬害。」でも書いたように、弁当の後にムシャムシャ食べる。妻や娘たちも食べるが、半分以上は私が食べると思う。

チーズ味を食べることが多いが、それはカレー味が売っていないことが多いからだ。本当はカレー味を食べたい。カレー味をスーパーで見つけると、買っておく。今までも、カレー味がないこと不満を抱いていたが、今後はカール自体がないことを嘆かなくてはならないそうだ。

カールの記憶は、小学生時代に遡る。

私は本を多く読んだ。リビングというよりは、「居間」にあった茶色の人口革のソファに寝転がり、カールカレー味を食べながら「ドリトル先生」を読んでいた自分自身の記憶が鮮明に残っている。テレビでは、「それにつけてもおやつはカール!」というジングルが流れる。母と隣の駅のスーパーに行ったときなど、勝手に買い物かごにカールを入れていたことも思い出す。正しい食生活にこだわる母もそれを許していた。

米国に留学すると、当たり前だがカールはなかった。だが、チーズ味に近い商品として、フリトレーのCHEETOS(チートス)があり、味覚的に満足はできないもののそれで代替していた。今後は日本にいてもCHEETOSで代替しなくてはいけないのか・・・。今調べてみると、チートスの発売は1948年で、カールはその20年後の1968年。両方ともにコーンが原料なので、カールの方がパクリである。CHEETOSの日本登場は1975年とのことだが、私にはもっと最近になって見かけるようになったと感じる。

明治製菓は販売縮小の理由を、ポテトチップスなど他のスナック菓子に奪われたという。そうかもしれない。ピクニックの食後にカールではなく、ポテトチップスを食べることもある。

だが、日経新聞は理由はそうではないと説く。若者への宣伝、コミュニケーションを怠ってきたからだという。これはおそらく正しい。娘たちは私ほどカールに対するこだわりを持たない。さっき聞いてみたところ、大学に通う長女は「それにつけてもおやつはカール!」というジングル自体は知っていたが。

明治製菓のマーケティング部と一緒に仕事をしたことがある。彼らは非常に優秀である。新しいものを作り上げる気概がある。優秀な彼らがなぜマーケティングの仕事を怠ったのか?日経は「殿様商売」と銘打った。

考えてみるとカールには、類似品はない。あえていえば、上述したチートスがあるが、売り上げ規模から考えて競合とはいえないだろう。それと比較すると、ポテトチップスなどは類似品ばかりで差別化が難しい。だから、売り上げの確保に必死になり、マーケティング・販売促進の努力を怠らない。止めてしまえば、すべてのポテチはスーパーのストア・ブランドになってしまうという危機感がある。

明治製菓の得意のチョコレート菓子も同様で、しょせんチョコはチョコであり、代替性は高い。「チョコレートは明治!」というジングルがあったが、それにあぐらをかくことができないのは明治製菓も認識しているだろう。ロッテでもカバヤでも美味ければよい。ストア・ブランドも多々ある。だから、このマーケティングにも手を抜かない。

モノとしての他社との差別化がキッチリとできているので、それに安住してしまったということだ。

おそらくや、安易な戦術として、さまざま新製品味を投入した結果、私の大事なカレー味や、へたをすると主力のチーズ味までも棚落ちするという辛苦もなめたであろう。モノとして、他社との差別化ができているのに、自分自身のブランド内で競合させると、そうなる。これは、食品ブランド・マーケティングにおける「フレーバー問題」と私は名付ける。大きな問題であり、別途書く必要があるだろう。

10年間マーケティングを怠れば、その間にティーンエイジャーは育ってしまう。メーカー側はオジサン自身の常識でなかなかそれを感じ取れない。ブランド認知・好意度などの長期データには表れているのだが・・・。

似たようなことで、私が最大に危惧しているのは、かのコカ・コーラである。

コカ・コーラの良いコマーシャルをなにか想い出せる人がいるであろうか?熟考の末、出てくるのはいまだに「I feel Coke.」だったりしないのだろうか?それは、私がカールを食べながら、本を読んでいた時代とまでは言わないが、30年も前のことだ。

例によって長女に聞くと、「コカ・コーラがカッコイイとしたら、それは横文字だから。」ということである。ロゴだけが、なんとかブランド価値を伝えているというのは、かなりマズイ状況だ。コカ・コーラの戦略的な問題については、いずれまた書く。

190億円あったカールが、今は60億円の売り上げだそうだ。それにしても、60億円の商材をない方が良いと考える明治製菓の経営判断は、今一つ理解できない。販促費用をかけていない分、10億円以上の粗利が出ているとおもうのだが。

協力工場が赤字ということかもしれない。だったら、湖池屋にでも商標を売ったらいかがだろうか?おそらく湖池屋なら作れるし、個人的にはそうしてでも販売継続をしてもらいたい。

ジェレミー・ムーンチャイルド

追記、

調べると、そもそも明治製菓という会社はもうない。そういえば、乳業と合併したのだった。8年程前のこと。同じ明治は、たしか戦後の財閥解体で別れた会社のはず。医療分野も含め、「明治ホールディングス」が現在の会社名のようだ。

想像の域を超えないが、社内政治の匂いがする。

過去の栄光を放ち、凋落していく製品には、社内では「関わると損」という雰囲気が漂う。費用をかけて広告宣伝をしても、費用を取り戻すほどの販売増は見込めない。そうすると、製品を弄るしかないのだが、何をやっても成果は長続きせず、むしろ結果的に凋落を加速させてしまう。

「関わると損」ということは、無い方が良いという合意形成に結びつきやすい。あと必要なのは、赤字だという数字的な事実。

チョコ菓子などの他の明治(製菓)の商品と比べると、カールは袋菓子で空気を運んでいるようなもの。大きさの割に価格が安いので、倉庫・運搬などの物流費の割合も高くなる。赤字というのはいろいろな定義があるのだが、うまく数字を弄ればそうなるだろう。組織上の人的コストを含め、固定費をどう割り当てるかによる。

ちなみに、直接コストなどの粗利益で赤字というのは、食品ではあり得ない。原料であるコーンなどや、包装は安いものだ。製造コストはそれなりにかかるが、この段階での赤字はあり得ない。

もう一つは、明治(乳業)との関連。乳業は利益率は低いが格段に売上高が大きい。社内政治では、売り上げを重視したい乳業出身者からは60億円の売り上げは小さいという主張があるだろう。1兆円以上の巨大な売り上げを築いているのは乳業だ、という論理である。

また、利益性や成長性でいえば、製薬出身者が大きな顔をするだろう。(ちなみに、拙書「うつは心の薬害。」でも書いたように、明治は抗うつ薬としては、SSRIのデプロメールと、NaSSAのリフレックスを販売している。)意外と、利益のほとんどをたたき出しているのに、製菓出身者の立場は微妙なのかもしれない。

このように特に日本の経営統合というのは、〇〇出身という派閥を作るだけで意味がないことが多い。合併というのは相乗効果がなくては意味がないどころか、足の引っ張り合いの場を設けるだけだ。

明治ブルガリア・ヨーグルトのパッケージに自社製品の広告欄を設け、カールのキャンペーンをするくらいのことをしなくては意味がない。おそらく、そのようなアイデアは合併当初あったが、現場でなんやかやと抵抗されてできないのであろう。

容易に思い付くのは、ブルガリアのイメージが悪くなる、というようなことだ。それも、凋落する菓子ブランドの手助けをして、っと。基本的に単なる拒否反応である。もし、ブルガリアがその広告欄においても健康イメージを大事にするのであれば、カールの健康面を打ち出せば整合性は取れる。ポテチとは違い、ノンフライなどだ。時々食べたくなる商品を思い出させるだけでも価値はあるだろう。合併した明治のあり方を表現できる機会だったはずだ。

明治のマネをして、森永の製菓と乳業が合併する話があったらしい。今年3月末にチャラとなった話のようだが。経営規模を大きくするのは経営者的にかっこ良いように見えるが、特に日本の場合むやみにはしない方が賢い。

純粋な経営判断ではなく、社内政治などでカールの消費者(顧客)が置き去りにされたのなら、残念である。もうやりたくないだけなら、やっぱり湖池屋に売ってほしい・・・。

また、追記、

カール低迷の陰に、スマホの影響?的な記事を読みました。それはすべてのスナック共通の問題か・・・。

私はスマホを持っていませんが、カールを結構、はし(箸)で食べます。ちなみに、ポテチも時々箸で。便利ですよ。西洋人にはマネできない・・・、箸の凄さが体感できます。

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