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日本人は、空間にゆたかになろう。

  • jeremmiemoonchild
  • 2017年6月9日
  • 読了時間: 8分

政治家は、「私は景気を良くします。」ということをのたまうが、これでは意味がない。

誰もがお金をもっと欲しいと思っている。

だから、それを実現しましょう、ということにしか聞こえない。経営者が売り上げと利益を増やします、というのと同じで、あたりまえ過ぎて意味がない。また、方法論が、税金を下げて消費を拡大するとか、公共事業投資を拡大して景気を支えるとか、もはや効果がまるでない。

- 税金を下げれば、税収が減り、将来の税金が上がる。

- 公共事業を拡大すれば、予算が減り、将来の公共事業が縮小する。

こういうことを、市場は瞬時に理解するし、一般人も感じてしまう。

そもそも、「誰もがお金をもっと欲しいだろう」という前提が浅はかな人間理解だ。お金があったら、本当に何がしたいのかが問題である。逆に言えば、それが実現できれば、GDPという数字の変化である景気などどうでもよい。

日本人は、何があればもっと幸せか?

昔から、生活の基本は「衣・食・住」という。

「衣」・・・

日本人の着ているものは、おそらく世界クラスであろう。女性の化粧なども含め、もっとも外見に気を遣う国民であると思う。ファッションの街パリでも、若い女性はジーンズ姿が目立つ。日本人の「衣」はゆたかである。これ以上改善しても幸せにはつながらない。

「食」・・・

食べ物も世界一流と言えるだろう。何料理でも、東京が一番美味い。ニューヨークはまだしも、アメリカの中華料理など旨味がなく不味い。ウマミというのは翻訳できず、そのままUmami として食品業界では英語で使われているくらいだ。よって、日本人の「食」もそれほど問題ないだろう。そもそも日本食というのは健康食の代表みたいなものであり、世界の料理から良いところを取り入れる柔軟性も高い。

インスタント、冷凍、総菜などが多くなり、朝食を抜く人が多いなど、けっして健康的と言えない潮流には注意の目が必要かもしれないが。

「住」・・・

問題なのは、これである。日本人は、圧倒的に空間に貧しい。

マンションやアパートの6畳間など、壁が目前に迫っていて息が詰まる。手頃な戸建て住宅も、それと似たり寄ったりの間取りだ。満員電車は語る必要もない。そして、オフィスに行けば、幅1メートル程度のスチールデスクだけが自分の領域である。書類整理の悪いヤツが隣だと、雪崩寸前の書類を見ながら一日働く。おそらくスペースの関係で、与えられたノートパソコンに屈んで仕事だ。7年働いて課長になっても、机の幅が30センチ増えるだけ。部長になっても個室などない。

海外では、少なくとも全員が正方形のパーティッションに囲われたL字デスクで仕事をしており、役職となれば個室か、それに近くなる。だから、東京に勤めても外資系であれば、大卒の新人でもL字のパーティッションが与えられる。日本企業の部長クラス以上の環境・・・。

西欧からは、驚きの目で日本人の事務所の光景は見られるが、東南アジアの国からは嘲笑されているのを知っているであろうか?立派なプラントを輸出している偉大なる日本の商社の働きぶりを視察に来て、そこにスチール・デスクの島々を発見し、東南アジアのエグゼクティブすらも哀れみのコメントをこぼしてしまう。

私は、この空間の貧しさが日本人の心に大きな悪影響を与えていると思う。夢を奪い、スケールのみみっちい発想しか生まれず、隣人の些細なことに関心を持ち、不満を溜める。生きるための酸素を他人が奪っているような妄想を抱き、空気が足りないと喘ぐ・・・。

単に気分だけではない。スペース不足は技術革新を妨害している。

私が渡米した90年代初頭に米国では、一人一台のパソコンを利用して仕事をしていた。ディスプレイがCRT、ブラウン管で大きかった時代だ。日本ではパソコン専用の机が不自然に課に一つ用意され、女性職員、いわゆるOLだけが入力作業をしていた。オジサンたちは触るのも怖がった、パソコン端末である。その頃だったと思うが、一家に一台パソコンが買われたが、ゲームに使われた後、埃にまみれ片隅に追いやられ、捨てられてしまった。

その後、ディスプレイが液晶になってから、ようやく日本のオフィスでもパソコンが普及した。ウィンドウズの進化のタイミングと同時で隠れていてわかりにくいが、私はスペース問題が日本のPC普及に大きな障害だったと信じている。

今現在でも、私のようにデスクトップPCを常時家で稼働させているのは珍しいらしい。なんでもスマホで済ませようとする背景には、やはり家庭でのスペース問題がある。今後、IoTの時代と言われるが、最低限の機械の居場所がなくては、なにも普及できない。

別の例を挙げよう。女性を家事から少しでも開放するモノとして、食洗器がある。なんでも小型・高性能化するのが得意な日本の家電メーカーが必死に仕事をしても、日本の台所は狭い。食洗器を置いたら、まな板を使えないくらいだ。優秀なメーカーが必死にコストも下げ、それに応える4万円くらいのお金は持っていても、置く場所がないから普及しない。

逆に言うと、スペースさえあれば売れるものはたくさん出てくる。企業業績は伸び、本当に便利なものであれば、家事や仕事の効率も上がり、しあわせもより感じ取れ、おそらく収入も増える。

日本は国土が狭いのに、人口が多いのだから仕方がない。この問題を提起すると必ず返ってくる「諦めの」答えだ。

そうなのだろうか?

私はそうは思わない。「スペースがない」という場合、自分も含めて「整理ができていない」ことが多い。使い方が悪いだけだ。工夫次第でスペースなどいくらでも出てくる。土地を含めた、日本のスペースの使い方が十分に効率的とはいささかも思えない。

一番スペースが必要なのは、子育て世帯である。モノが溢れる。今一般的なのは、20坪、70㎡程度のマンションやアパートではないだろうか。私は、子育て世帯には目標として、2倍の40坪の床面積を与えるべきだと思う。伸び伸びとした空間での子育て、それを私は夢があると思うが、いかがであろうか。

それでは今、40坪の床面積に住んでいるのは誰か?子育てを終わり、定年を終えたジジ・ババ世帯である。こういうのを全体として整理ができていないスペースの使い方だと思う。私は老後も幸せに暮らして欲しいと願うが、何がそれに必要かを精査すれば、コンパクトにそれを享受することは可能だと思う。

スペース自体がないのではなく、必要な人にいきわたっていないだけである。

一番にやる必要があるのは、容積率の緩和だ。

建物を建てる大きさを制限するのは必要だろう。それこそ庭も必要だし、火事の場合の延焼も防ぐべきだし、影ばっかりになっても他人に迷惑だ。しかし、その建物の外枠の中に、どれだけの床面積を作るかを規制する必要はまったくない。屋根裏スペースなどを活用すれば、戸建て住宅の容積率は簡単に1.5倍~2倍になる。

いわゆる人の歩ける床だけでなく、収納などの工夫も含め、まったく自由で良いではないか。容積率は緩和するか、思い切って撤廃しても良いと私は思う。

耐震構造や、断熱など、住宅としての基本は今まで以上にキッチリすべきだ。誰のお金で建てようとも、建築は社会資本である。

もし、容積率が変われば、建築のラッシュが起きるだろう。人々の希望を実現する、意味のある景気が起きる。住宅地の価格は下がる方が望ましいが、新しい基準で建物が建てられるのであれば取引は活発になるだろう。

オフィスの近代化に関しては、労働環境の改善の一環でやって欲しい。仕事場には家庭以上の時間滞在する。そこでの快・不快はサラリーマンのしあわせに直結している。生産性に直結するかどうかが会社側の興味だろうが、間違いなく良い人材は労働環境を選ぶ。良い人材が欲しければ、良い環境を用意すべきだ。

さて、このように本当に幸せを感じる人を増やす、100年先の日本のそういうことを考えるのが政治なのだが・・・。

役人の人事権を片手にチラつかせ、自分の立場のために国会で役人にウソをつかせるなど人のすることではない。誠に見苦しく、とてもじゃないが憲法改正など起案して欲しくない。

ジェレミー・ムーンチャイルド

追記、

先日、たまプラーザTERRACEの屋上のレストラン街に夕食に行った。夜風に吹かれるテラス上の空間。日本でも、将来を見据えた余裕のある空間造りができているではないか。

人間に何が必要かを見抜く視点と、やる気とセンスの問題だけではないか。今の政治家にそのような資質は微塵も感じない。

また追記、

日本のオフィスのスチールデスクの島についてだが、根の深い問題のような気がしてきた。スペースが限られるので、仕方なく狭いところで仕事をさせているのではない気がする。

雇用側とサラリーマン、この関係が圧倒的に雇用側に有利な関係と信じられてきたのではないか?私が最初に就職した財閥系の商社で感じたことであるが、会社のすることに一事が万事、感謝すべきとの教えがあった。

- 仕事も覚えていないのに給料をもらって、ありがたいと思え、

- 仕事を教えてもらって、ありがたいと思え、

- 資格を取らせてもらって、ありがたいと思え、

- デスクなる居場所をもらって、ありがたいと思え、

- 土曜日も休めて、ありがたいと思え、

- 上司に酒を飲ませてもらって、ありがたいと思え、

まあ、この調子である。

この発想だと、社員はあくまでクズである。そんなものに給料を払うだけでもったいないのに、快適な環境を与えるなど飛んでもない。むしろ、給料をもらうには不快に耐えることを常に意識させねばならない。リラックスなどさせた日には、仕事をしなくなり、ただただのさばるに決まっている。

下は上に忠誠を、上はその上に忠誠を、その上はそのまたその上に忠誠を・・・、社長にでもなれば、ようやく、ちょっとした部屋で偉そうにして良い。

こんな感じである。大なり小なり、これの名残りがないか?

もし、これが、ひとかけらでもあるのであれば、問題はもうスペース自体ではない。会社側は、狭いスペースを敢えて選び、「好んで」社員に提供しているのである。狭いスペースを利用した、集団的弱い者イジメ文化に他ならない。

またまた、追記、

話しの信憑性に資格が有用だとしたら、思い出したことがある。そういえば、私は若いころ不動産部というところにいたことがあり、「うつは心の薬害。」にも書いたように、宅地建物取引主任者の資格を持っている。

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