医者はもっと患者を触るべき。
- jeremmiemoonchild
- 2017年6月13日
- 読了時間: 4分
運動神経が良い方ではないが、中学生のころにはバスケットボール部に、一応入っていた。
「うつは心の薬害。」にも書いたように私の体は柔軟性が高い。そのためか、骨折をしたことは一度もない。その代わり何度か捻挫をした。足首がグニュっとなり、「あっ、またやった!」っと思った後、痛みが走りうずくまる。
田舎の学校の目の前には、市立の「○○診療所」というのがまだあった。
今では考えられないが、捻挫でも、風邪でも同じ先生が診てくれたのではないかと思う。患部を注意深く両手で持ち、優しく動かしながら、「こっちは痛いか?」「なら、これは大丈夫だな?」などと聞きながら状態を診ていた。患者にとってはこれは驚異でしかなく、自分にはわからないが、足首の中の仕組みが見えるようで、どこがどう壊れたのでどう治すということがわかるのだなあ、と感じ入ったものだ。
昔なので、湿布も灰色の冷たいペースト状のものを塗ってくれた。
医者は尊敬に値する存在であった。
実は最近足首を捻挫したことがある。診察室で状況を説明すると、話しを聞き、遠巻きに上目遣いに私の片方の足首の腫れをチラッと観察した。医者の目から足首までの距離、2mもあったように思う。そして、まったく触りもせずに「捻挫でしょう」とカルテに記載し、念のためレントゲンを撮ることになった。
レントゲン写真を見て、骨に異常はないのでやはり捻挫ということで、湿布薬などの処方となったと思う。
理屈的には、転ぶなどの事故があり、足首が腫れ、骨に異常がなければ捻挫、というのが正しいことはわかる。どの程度の捻挫でも、細かい意味でどこがどう痛んでいたとしても、やることは同じで湿布と安静。あんましそれ以上興味を持っても仕方ないのか・・・。
しかし、あの長距離、上目遣いのチラミ診察は気になり、こっちの足が汚いとか、臭いとか思われたような気すらした。
よくわからないが、特に女性の場合など、やたらと触るとセクハラとかの問題があるのであろうか?それとも、触感など瞬間的で証拠が残らず、主観的なものよりも、レントゲン写真など持続的に誰の目にも訴えるものを、診断では重視する医学教育が進んでいるのであろうか?
そりゃ、むやみに触る必要はないが、上に書いた通り、細かい診察をするのに必要な接触は患者を安心させるし、真面目に心配している感じがしてありがたい。
実は内科医も、昔はもっとお腹などを触ったと思う。今よりも、血液検査技術などが進んでいなかったため、感触などに頼らざるを得なかったのかもしれない。今は、喉を見るだけでわからなければ、血液検査など。それに基づき処方と相成る。
内科医が薬を出すのを自分の仕事の最終出力、と考えているのに気が付いた時も違和感があった。患者にとって、医者に行く第一で最大の理由は、診断そのものである。風邪程度のもので、より重大なものではない、ということを確認することができれば大きな安心だ。
第二の理由は、原因を除去したり、症状を緩和させる、或いは悪化させない方法を知ることだ。いかなる薬よりも、それらが重要なのは経験的にわかる。患部や体を冷やした方が良いのか、温めた方が良いのか、休んだ方が良いのか、動いた方が良いのか。自分自身の抵抗力を高め、自己治癒能力を高めること自体以上に有効な治療などない。
そして、第三が薬の処方だろう。実際には、さきほど述べた通り、処方=唯一のアウトプットと感じる医者が多い。「治りゃいいんだろう、薬飲んどけ、余計な質問するな。」みたいな。結局、これも精神医療と同じで、生活指導による治療率などよりも、薬による臨床試験データなどがMRによって持ち込まれ、医者を強力に洗脳しているからではないかと案じる。
実は、第四の理由がある。近代以前の医者のしていたことは、およそ科学的に有効とは言えない、おまじないレベルのものが多かったであろう。しかしながら、呪文でもなんでも、その集団で重要な立場にある人間が、一生懸命に治療作業を行うということは、「生きろ、」というメッセージを患者に送る。
集団を形成する動物にとって、孤立することは死を意味する。「うつは心の薬害。」のクマノミの例にも書いた通り、集団から、食うな、と言われれば、死ね、と同義だ。実際に死にたくなるだろう。逆に、生きろ、というメッセージは集団から存在や生存の価値を認められたということで、希望となる。簡単に言えば、治ったら周りが心から喜んでくれるということだ。
それに関する科学的臨床データなどないが、「生きる意志」が治癒率と関係があるというのは、多くの困難な状況を見てきた医師が共通して証言する。精神医療でいえば、井原裕氏がいう「叱咤激励」の必要性にも通じるところがある。つまり、人間関係の話しなわけだ。患者は意識せずとも、それを期待している。
これと、患者の触診が関わっているわけだ。精神医療は、薬の自動販売機と言われるが、内科でも整形外科でも、薬のコンビニエンス・ストアに成り下がる理由はまったくない。
私はただ、「昔はよかった」などと懐古趣味で言っているわけでもない。五感も心も最大限使って、患者を診て欲しいということだ。
ジェレミー・ムーンチャイルド
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