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「蝶になる」山本リンダと、個を潰す日本社会・・・。

  • jeremmiemoonchild
  • 2017年6月21日
  • 読了時間: 3分

この山本リンダの映像を見て、感動を覚えた。

(動画は直接You Tube のみで再生可能のため、下記リンクでご覧ください。)

山本リンダといえば、おどろおどろしいイメージのパフォーマンスしか記憶に残っていないが、この時の彼女はとことん明るい。足の指先から、手の指先まで喜びのエネルギーに満ちあふれ、伸びやかに全身が躍動している。明らかに歌唱を楽しんでおり、それが歌の合間の表情に現れている。

昭和47年(1972年)のようであるが、この時代にこのようなリズム感を持った日本人がいたとは驚きでしかない。ハーフとはいえ、米国人の父は1歳で亡くしており、普通に日本で育てられたらしい。今の若い人でも着いて行けないのではないかと思うほどの、アドレナリン全開の猛スピードだ。しかも、余裕しゃくしゃくである。振り付けにない踊りまでを、自由にしているように思える。

衣装や足の開きが、はしたないとか、そんなことはとうに超越した存在である。まさに羽化した蝶が羽ばたくかの如くの生命の舞である。時代も国籍も超越したアートだ。

このようなストレートな表現では日本の歌謡界では居場所はなく、例の背中を丸めた魔法使いのような、おどろおどろしい路線へ所属事務所は指示を出したのだろうが、この動画の純真、自由奔放で天真爛漫な彼女こそが真の山本リンダであろう。ちなみに、当時21才と思われる。

ジェレミー・ムーンチャイルド

追記、

もともと芸能関係の話題をここで書くとは思っていなかった。基本的には、単独の事象ではなく、ある程度普遍性のある考察を書くことにしていたのだ。一動画を見てついつい反応して書いてしまうとは・・・。

考えてみると、山本リンダが妙な芸風にさせられたのは、日本社会のイジメ体質の象徴だったかもしれない。

当時の他の歌手と比べ、あまりにも手足が長く、顔も良く見るとリンダ・ロンシュタットに似て、ベビー・フェイスで可愛い。歌も上手いし、ダンスも一流、おまけに舌足らずな喋り方という特徴もあり、タレントとしてデキスギだったのではないだろうか?

これをストレートに表現されては、周囲とのバランスがあまりに取れない。レベルの低い歌や踊りが氾濫する芸能界の中で、何か大きな欠点を持たせないと釣り合いが取れない。そう考えられてしまったのではないだろうか?それで、あの自己顕示欲を肥大化させたキャラクターで笑ってもらう、ということに収束したように思う。

そもそも学校ではハーフなのでイジメられたと書いてある。日本人は、他人と同化することを好み、他人と違う者を認めず阻害する傾向がある。その傾向は、昔は今よりもずっと強かった。

タレントとしての有能な才能を素直に表現させてもらえなかったとすると、芸能界においてもイジメを受けたようなものだ。なぜにレベルの低いものに合わせなくてはならないのか?

本人は与えられた役割を真面目に演技し通したと思う。しかしながら、そして残念ながら、結果としてヒット曲は極めて少ない。

今でこそサッカー選手をはじめ世界で活躍する若者はいるが、日本文化のベースには、個の才能を潰してしまう要素があることを忘れてはならない。そして、低迷する経済の原因がその辺にあるかも、ということである。今のニューヨーク証券取引所の株価を支えているのはアップル1社である。

過去20年間に、日本版スティーブ・ジョブズが現れなかったのは偶然ではないと思う。

さらに追記、

なんだかわからないが、上の動画を見ると大量のエネルギーを心身に感じる。山本リンダ・セラピーなるものが存在し得るのか・・・。

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