グッチ裕三が示した『利益相反』の時代。
- jeremmiemoonchild
- 2017年7月11日
- 読了時間: 5分
さて、ネット・ニュースに目をやると、気になるタイトルが目に入った・・・。
「『グッチ裕三』紹介のメンチカツ屋、自身がオーナーだった 周囲からは苦情」
ようするに、事実上グッチ裕三が経営している浅草にあるメンチカツ屋を、グッチ裕三自身がテレビで褒めちぎり、人気が出た、ということらしい。
「利益相反」という言葉を目にする機会が増えた。
英語では、Conflict Of Interest (COI) という。この言葉は、製薬会社お抱えの御用学者が、真実を追求する科学の世界、当然に中立的であるべき学問の世界に、不正を持ち込んだのを機会に出来上がったと思っている。有効性や安全性について、客観的な事実とは異なる、製薬会社に有利な研究発表をしたり、講演をしたりしている。
政治も含め、いろいろなところで使われるようになった。グッチ裕三のニュースもこの問題の一つとして考えると、結構深く、面白い。
私は、グッチ裕三が好きである。
多くの方には、単なるモノマネ芸人の一人であろう。私にとっては、NHKのハッチ・ポッチ・ステーションなどで、自在に音楽を操る様を見せた、まさに日本に珍しい「本物のエンターテイナー」である。ロックの名曲を、恐ろしいほど「忠実にパロディ化」していた。たしか、The Band の Weight まで完コピの上、ギャグにしていたと思う。あれは誰にも真似できるものではなかった。

なので、それこそ利益相反上の問題が起きないように、この議論(ディベート)は慎重に進めたいし、慎重に読んでいただければと思う。
有名人が自分の店を、そうとは知らせずに「美味い!」と宣伝する。これは、確かに腹黒く思える。してはいけないことと直感的に思える。
だが、冷静に分析すると、意外な結果が出る。
被害者は誰か?
店の人気が出ているので、実際にそれなりに美味しいことを前提とすると、グッチ裕三を信じて店で買い物をした人は、恐らくや喜んでおり、特段の不満など持っていないだろう。つまり、被害者ではないのである。
それでは、それが実はグッチ裕三の店だと知った場合はどうであろうか?
わざわざグッチ裕三の言うことを信じて行動するということは、大なり小なり彼のファンである。したがって、実はグッチ裕三の店の商品を食べたと知った暁には、恐らくや、より喜びはしても、不満とはならないのではないか?
不思議なことに、バレても被害者は増えない。
周囲の店に迷惑をかけている、ということが挙げられているが、これは店に人気が出れば対処しなくてはならない問題で、ここで検証している「利益相反の問題」ではない。
他のメンチカツ屋と比較して、フェアな競争ではない。
つまり、シェアの減った他のメンチカツ屋が被害者という説であるが、これも当たらない。そもそも、この場合、決まった規模のメンチカツ市場などというものは存在していない。もし、グッチ裕三の宣伝が成功したのなら、むしろメンチカツ市場全体の活性化や拡大が生じ、他のメンチカツ屋もその恩恵を被るであろう。
不思議なことに、競合も被害者ではない。
それでは、近くの他の外食業がシェアを奪われたのではないか。
店は浅草にあり、グッチ裕三の宣伝は媒体を通し、全国展開で行なわれた。したがって、購入者はどこからか浅草までわざわざ出かけた可能性が高く、狭い地域の外食店からシェアを取ったものではないだろう。
またしても、被害者が見つからない・・・。
これは、副作用被害者が出るような製薬会社の例と比較して、何が違うのであろうか?
利益相反を分解してみると、次のようになると思う。
①情報発信者の偽装
御用学者の場合は、医師として、患者のために公正な情報を提供していると見せかけている。実際には、製薬会社から利益供与を受けており、それが目的である。
グッチ裕三の場合は、料理のわかる人気タレントとして、視聴者のために旨い店を紹介している。実際には、家族や自分がオーナーであり、そのメンチカツ屋の人気が出れば自分が直接儲かる。
この構図は似ている。
②情報の加工(ウソをつく)
御用学者は、薬の危険性を過小評価して、「副作用がなく、安全。」と断言する。また、効果を過大評価し、「画期的な新薬」などと持ち上げる。
グッチ裕三の場合、もし自分の店のメンチカツは美味しいと信じており、それがおよそ事実であれば、特に大きなウソはついていないことになる。
ここには差がありそうだ。
③情報の拡散
御用学者は、学術論文、講演、執筆、インタビューなどという形で、権威を持って情報の信頼性を高め、社会に広く伝達する。
グッチ裕三は、タレントという立場を利用し、テレビで紹介した。
権威の違いはあるが、構図は似ている。
これで、違いがどこにあったのか、明白である。
②である。被害が出る最大のポイントとして、②の情報の内容に「ウソをつく」かどうかが、大きいのである。副作用があるのに、無いと言えば副作用被害は拡大する。効果が大してないのに、あるといえば、ムダなものをせっせと飲むことになり、健康保険の負担も無駄にかさむ。
「利益相反の時代」とこのブログ・エントリには題したが、「ウソつきの時代」とも解釈できる。
最近、ウソによる問題が多いと感じる。なぜ人間はウソなどつくのかとも思う。政治問題など、すべてウソ問題と言える。ウソは真実をわかりにくくし、問題の解決を遅らせる。事実をキチンと把握できなければ、正しい対策は取れない。
ウソをつくことは、思った以上に罪が大きい。
グッチ裕三の件に関してさらに考えてみると、店のオーナーが自身であることを隠したメリットは、多分ない。
前述したように、実際にわざわざ出かけるのは、大なり小なり彼のファンであり、オーナーがバレていた方がむしろより行きたがるくらいであろう。
それでは、なぜ、そもそもオーナーを隠したのか?
番組企画である。タレントが自分の店を宣伝する番組は、誰も見ない。オーナーを隠した方が視聴率が取れる。番組の価値が上がる、だから隠したのであろう。
敢えて言えば、オーナーを隠さなければテレビ番組で宣伝はできない、と知っていたのであろうから、そこはグッチ裕三があざといということになる。
なんにせよ、早く深く謝罪すべきであろう。ただし、下記のように説明すれば、意外と納得してもらえるかもしれない。
「身元については明かしませんでしたので、申し訳なく思います。だが、自分の店のメンチカツは心から美味しいと思っており、そのことについて誓ってウソは申していません。」
甘いであろうか?
ジェレミー・ムーンチャイルド
Comments