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小池ではなく、『枝野が台風の目』になる理由。

  • jeremmiemoonchild
  • 2017年10月4日
  • 読了時間: 11分

前回のエントリでは、民進党がすべきことを書いてみた。

たった3日前のことであるが、はるか昔の様に思える。騙されたのか、騙したのか、それすらわからない馬鹿者なのか知らないが、民進党の前原代表は100億円以上の党のカネの采配権を持った党首のまま、希望の党という別の党の代表、小池百合子の操り人形と化したままだ。これは尋常ではない。誰が見ても異常な事態である。

本人はいまだに、「安倍政権を倒すためにすべてを投げうった」つもりかもしれない。しかし、私は彼の思惑通りにものごとは運んでいないと思う。

だまし討ちをされた、民進党リベラルの代表格、枝野幸男が新党「立憲民主党」を昨日発足した。

「構成員は私一人です。」という簡素な記者会見の翌日、50人以上を擁立、というニュースが流れている。私は、この枝野幸男の立憲民主党が、小池百合子の希望の党に変わって旋風を巻き起こすと予想する。その理由を述べよう。

そもそも、前原氏が頼みの綱とした、小池百合子の人気とはなんだったのか、冷静に考えてみよう。

それは昨年、自民党本部が東京都知事候補を決めあぐねている中、一人で勝手に決断し立候補したこと、自民党本部、自民党都連などの重鎮に対し、その意向を無視し、果敢に一人で対抗したことだ。その勇気と姿勢、行動力が評価され、都知事になったのである。

キーワードは、一人で、既存勢力に対抗、である。

その後、都知事になっても、既存勢力に流されることなく、築地問題なども含め、今までの知事などがしてきたことに関する情報公開への努力などが好感を持たれ、今年の都議選でも小池氏の都民ファーストの会が驚くべき圧勝をしたのであった。

また、都政であれば、防衛問題や憲法問題は直接関係はない。ハッキリ言えることは、都民は小池百合子の防衛・憲法に関する信条を是として、投票したわけではないということだ。

ところが、成功体験というものは恐いもので、こんな風にも思ってしまったのだろう。「私ってスゴイ人気。私の名前と「リセット」などの新鮮味のあるスローガンがあれば、どんな選挙でも大勝できる!だって、都議選そうだったもん、まじチョロかった・・・。」

そして、これを本人以上に、根拠なく妄信してしまったのが、大馬鹿者の前原、民進党代表であろう。

安倍首相によれば、「国難突破解散」だそうだが、国民にとって今回の選挙の争点は、森友・加計学園問題に他ならない。国民は、腐敗政治を誰が止めてくれるかを、まず求めている。腐敗は現在進行形であることを知っている。

小池百合子が自民党本部と都政において対決したことは事実だが、森友・加計学園に関して、今まで何をしたのであろう?都政では何もできないとしても、少なくとも強く糾弾してきたのであろうか?もし、希望の党が多くの議席を取ったら、何をすると言ったのだろうか?

「公約です、加計孝太郎を証人喚問します!」

とでも言ってくれれば、スッキリするのだが、聴こえてくるのは「リセット」などのイメージだけである。自民党にいた人間として、加計学園との癒着に染まった可能性だってある。安倍晋三も知らない仲ではない。直接の交渉ができる連絡窓口は残してあるはずだ。どんな密約があるかもわからない。

そんなことを、国民は薄々疑問に思い始めている。

「小池は、本気で安倍を突き落とすつもりがあるのか?」

このまま、小池氏本人が衆議院選に出馬しないのであれば、小池氏本人が国会で追及するということはない。いったい、森友・加計学園について、希望の党の誰が何をしてくれるのか、サッパリわからない。これは、国民にとって選挙の最大の争点であるのに、希望の党はどうも条件を満たしていないのである。

さらに、小池氏は過去に「現行憲法の停止」だとか、「核武装」だとか、極めて物騒な防衛・憲法問題意識を持っておられる。そんなものを望んでいる有権者はいないだろう。特に自民党支持者ではない、浮遊層の中には。これも、希望の党の躍進には大きなマイナス・ポイントとなる。

そこへ、ひょんなことから、枝野幸男が「立憲民主党」なる民進党リベラルを中心とした党を立ち上げることになった。

党首に裏切られて行き場を失い、しかたなくではあるが、たった一人で立ち上がったところは、人心を買う。これを受けて希望の党は、無所属候補なら立てない対抗馬を、立憲民主党候補にはなぜか立てるという。そうやって、立憲民主党の勢力を抑えようとしているそうだ。

ここで一つ、希望の党の右翼の本音が漏れ出てしまっており、気が付く人も多いであろう。

「アレ?安倍政権打倒よりも、リベラル勢力抑制の方に熱心だったのか?」

もう一つの大きな失敗は、小池の人気、民進党の組織と金を持った希望の党に、弱小の枝野幸男が一人イジメられている、という構図を作ってしまったことだ。小池自身の人気の源泉、大組織に立ち向かう個人、という栄誉をはからずも枝野幸男に与えてしまったのである。

あらためて考えてみると、国民にとっての選挙の最大の争点である、森友・加計学園の追及姿勢であれば、民進党リベラルであれば実績もあり、合格である。さらに、この問題を「立憲主義の危機」と捉え、党名の冠にまで載せてしまったのは、多くの憤慨を持った者の心を打つ。

今、民が求めているのは、不正が暴かれ、不正を行ったものが裁かれる、正常な社会である。

自民党は、「政策論争、政策論争、」とここ数日盛んにいう。

しかしながら、選挙公約の政策など、守られたためしがないことを、国民誰もが知っている。そもそも、肝心な経済をよくする政策など、どこにもない。また、政策など、いくらでも将来変更可能である。

しかし、人柄はそう簡単には変えられない。「人格は不変」である。

枝野幸男の政党発足のための簡素な「一人ぽっち会見」には、一切演出がなかった。

はらわた煮えくりかえるような経緯に対し、一言も悪口を言わなかった。

どのような立場を取ったにせよ、今までの仲間を大事にすると言った。

普通であれば、一般受けしない、目立たない、没個性の馬鹿正直である。だが、今、この日本において、これほど強いアピール力を持つものはない。かんたんに真似のできるしろものでもない。

小池百合子の危険察知能力は高い。だから、対抗馬を立てると決めたのであろう。前述の通り、それは逆効果だと私は思うが。

枝野幸男の演説を見てみよう。民衆との距離が近く、民衆の側の言葉を使う。無意味な「まさに~、その~、」もない。そして腰が低い。ようするに謙虚である。これも、なぜか珍しくアピール力が高い。本人は意識していないだろう。別の動画では、ビール・ケースの上に立っていたりし、その簡素さがよく似合う。

あらためて希望の党の記者会見を見ると、ゾッとする。

民進党の玄葉光一郎総合選挙対策本部長代行、希望の党の若狭勝前衆院議員、細野豪志元環境相と言った面々が並ぶが、無意味にエラそうである。「小池ブームに先んじて乗じたオレは偉いだろう、先見の明があるだろう、」的なオーラ満々である。まるで、上がる株を誰よりも早く仕込んで、大儲けした輩の顔のようである。

そもそも、その大事な小池氏に対する謙虚さも感じないのは私だけであろうか?一般民衆に対しては、いわんやなおさらである。お三方のチームワークもおよそ感じられない。ようするに、人間味がないのである。

そして、事実とは正反対のことを、細野はエラそうに言う。「我々は懐の深い、多様な党員を持つ政党を目指しており・・・、」

自分が社長で、このような人物たちが役員だったらと思うと、生きた心地がしない。小池さんはこのような状況が好きなのだろうか?もっとまともな参謀を、呼べなかったのであろうか?そんなことはないはずだが・・・。

さて、告示まで1週間、選挙は2017年10月22日である。

世の中不思議なもので、逆境で火事場の馬鹿力が出たのだと思う。おそらく、民進党の代表選で枝野氏が選ばれていた状況よりも、良い結果が出るだろう。枝野幸男のあの以上にデカイ福耳はただものではないようだ。

私は上述した理由をもとに、枝野幸男の立憲民主党が大躍進することを予見し、期待する。

「野党の新しい党名を覚えるのは、記憶力がもったいない」とぞんざいな態度をした麻生副総理、「立憲なんとか、」と小馬鹿にしたフリをした小池百合子の口から泡を吹かせて欲しい。

追記、(2017年10月5日)

立憲民主党の主張は、共産党の言っていることに近いのは事実だろう。だから、選挙協力もする。

共産党の問題について考えてみると、言っていること自体よりも、言い方やその文化だと思う。歴代共産党委員長の演説を聞くと、不破書記長の生き写しである。感情表現、言い回し、間の置き方、発声方法にいたるまで。それが文化というものかもしれない。

だが、それが気持ち悪いのである。同じ主張でも、感性の異なる個人それぞれが、異なる表現方法で行う方が自然だ。それが、どういうわけか、コピペ人間を作ってしまうとなると、薄気味悪い。今風に言うと、原理主義的なのだ。

常に自分を被害者という立場に置き、他者を批判している感じがする。人間とはフクザツなもので、およそ被害者であると同時に加害者である。

貧乏人の連帯感を人の幸せと思わせている。それはあるかも知れないが、それだけが人間の幸せではない。我慢をしあうことだけで満足できるハズだと思うのは、それしかあり得なかった昭和ヒトケタの感覚であり、必ずしも普遍性はない。

正当に社会に付加価値を提供したなら、莫大な利益を得、それで贅沢をしても、なんら間違ってはいない。

共産党の言っていることは、実はけっこう頷けるが、そこに完全に同調することに二の足を踏む人は多いのではないだろうか?それが、トップダウンではなく、ボトムアップを主張する立憲民主党の支持基盤かも知れない。

もう一つ、理念を曲げないについて。

政策というのは、純粋に可変である。同じ人間でも、考えは結構変わる。だが、理念はそう簡単に変わらないものだろう。それが理念の定義なのだから。

枝野幸男は、理念を曲げては行動しないという。できないのかもしれない。

理念を曲げてまで行動しているらしき者の行動を観察していると、そもそもその理念というものを持っているのかが危ぶまれる。政治家という商売の継続を目的にやっているだけで、本当に国民を思う気持ちなど、これっぽっちも持ち合わせていないのではないか?ということである。

追記、(2017年10月6日)

若者がやる気をなくしている。

夢が持てないから、結婚意欲を持たず、勤労意欲も湧かない。さすがにそのすべての責任を、安倍晋三におっ被せるつもりはないが、意外と大きいかもしれない。

会社において、トップがあらぬ方向へ努力をしていたり、不正をしていたりすることがわかると、社員の士気は一気に落ちる。社員一人一人の貢献などわずかであり、それが馬鹿々々しくなるからだ。給料が貰えればよいと、形だけの勤務が始まる。こうなると、あらゆる部門でミスが多発し、会社の業績はガタガタと崩れ落ちる。

日本のトップが、どうも不正をしているようだと知り、若者は「どうせそんなものでしょ。」とうそぶき、強がる。自分たちでも気が付いていないが、心の底では悲しいのである。裏切り行為は、悲しい。

心の叫び:

「強いリーダーなどいらない。できないことは、できないでよい。せめて、ウソだけはつかないでいてくれ。」

ウソがなければ、協力する。「できるだけのことはしよう。」そう思えるくらいの素直さを、日本の若者は持っている。稀有な国だ。

だから、裏切らないリーダーが出てくれば、意欲は出る。意欲が出れば、良いアイデアが浮かぶ。それが付加価値であり、経済成長である。

枝野幸男は良い笑顔を持っている。

この角度で、左のミミタブが見えるほど、スゴイ福耳を持っている。

くだらん経済対策などより、効果があるかも知れない。

追記、(2017年10月17日)

小池氏の「排除」とその排除の理論に対する批判により、希望の党が急速に勢いを失っている。誰もが大きな不快感を感じるのだが、そのことがキチンと明文化できていないように感じる。単に自分の政党公認候補を選別しただけではない。

こう想像してみると、よくわかる。

「もう少し、前原誠司と小池百合子の演技がダラダラとうまく、立憲民主党の発足のタイミングが失われていたら、どうなっていたであろうか?」

現職の衆議院議員も含め、今、立憲民主党の候補で当選すると日経新聞でも言われている45人が、立候補すらままならなかったのである。

「民主主義の原点である、選挙。その選挙への立候補を妨害するという行為である。」

選挙で正々堂々と意見を戦わせるのではなく、「目障りな候補自体を抹殺してしまえ」ということを、小池は平気で行おうとしたわけだ。その反民主主義的な態度、憲法違反的な(Unconstitutional)行為、反スポーツ精神に対する怒りが、小池に反発している国民の原点である。

そもそも、今回の解散・総選挙自体、安倍晋三が小池百合子を含む野党勢力の体制が整わないうちに、と発案されたものである。最近、「排除発言は少し早すぎたわね。」と小池は言ったと報じられる。安倍の国難解散以上に悪質なものを、国民は感じている。

若くしてカイロ大学で学んだ志を持つ女性が、なぜそのような精神を持つにいたったかを私は知らない。だが、報道された、「憲法の一時的停止」発言の信憑性を感じる。

比例代表制において、一票たりとも希望の党に入れるべきでない。選挙は小池が否定している民主的なプロセスである。

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